インタビュー(聞き手・西村幸祐)/すべての拉致被害者を救うぞ!国民大集会


松原仁元拉致問題担当大臣、斉藤文代さん(家族会)、横田滋さん・早紀江さん(家族会)、島田洋一救う会副会長代議、西岡力救う会会長、増元照明さん(家族会)、飯塚耕一郎さん(家族会)
平成25年4月27日 日比谷公会堂
救う会:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
www.sukuukai.jp/


テンジン・テトン元チベット亡命政府首席大臣に直撃!


■侵略者には武力しかないが、チベットには精神と心の自由があり、未来がある。■
4月14日(日)、都内で行われたアジア自由民主連帯協議会の第10回講演会。
テンジン・テトン元チベット亡命政府首席大臣に講演後にお話を伺った。
米国でここ2、3年チベット支援熱が低下しているのではないか?と訊くと、テトン氏は「経済的な問題とオバマ政権の姿勢に問題はあるが、根本的なところでは、米国のチベット支援は変わっていない」と答えてくれた。
また、テトン氏がアジア自由放送(FRA)チベット部門の最高責任者に就任したが、昨年報道された支那の工作によるFRAの混乱について訊くと「RFA内部の意志疎通が原因であり、混乱は解消されたし、今後も強い発信力を以て、チベット情報を全世界に発信していく」と力強く述べてくれた。
また、このインタビュー映像にはないが、テトン氏はスタンフォード大学で教鞭を執っていて、北京五輪の聖火リレーの時の抗議デモに支那の留学生500名の内、結局、2名しか参加しなかったことを挙げ、中国共産党の相互監視システムが米国留学生にも広く機能していることも明かしてくれた。
また、インタビューの最後でテトン氏は支那には軍隊と警察の武力と圧政しかないが、チベットには精神と心の自由があるので必ず未来があると述べてくれた。
【テンジン・ナムギャル・テトン氏 略歴】
1959年 ダライ・ラマ法王の亡命に従って、インドのムスーリーに亡命し、学生
生活を送る。
1967-1968年 チベット亡命政府の教育省で翻訳官として勤務。
1971-1973年 チベット亡命政府の情報省(現在の情報・国際関係省)で副長官
補として勤務。
1973-1986年 ダライ・ラマ法王代表としてニューヨークで勤務。
1980年 中国への第二使節団の代表を務める。
1987-1990年 ダライ・ラマ法王特別代表としてワシントンD.C.で勤務。
1990-1993年 チベット特別大会議の閣僚に選出され、財務省、内務省、情報・
国際関係省の初代大臣を務める。
1994-1995年 チベット亡命政府主席大臣を務める。
・兄のテンジン・ゲチェ氏、友人のソナム・トプギャル氏とともにチベット亡命社会初となる民間主導の教育雑誌を創刊。
・1970年、インドのダラムサラのチベット青年会議の4名の発起人の一人。この会議が現在のチベット青年会議の礎となった。チベット青年会議はチベット亡命社会における代表的な組織であり、その会員は世界で約3万人に及ぶ。
・最近では、ラジオ・フリーアジアのチベット班の責任者に任命された。


2・26事件を偲ぶ青年将校の会


今年も2月26日に、作曲家のすぎやまこういちさんの提唱で2・26事件を偲ぶ会が、2・26事件の青年将校たちが昭和維新の談義を繰り返していたレストラン、龍土軒で行われました。
この日、参じた平成の青年将校は、作曲家のすぎやまこういちさん、「WiLL」編集長の花田紀凱さん、新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝さん、評論家の潮匡人さん、「JAPANISM」編集長の古谷経衡君、そして西村幸祐の6名です。
奇妙なことに、今年の2月26日は、NHKが朝から何回も2・26事件で命を落とした警察官を追悼する催しを定時のニュースで www3.nhk.or.jp/news/html/20130226/k10015788061000.html 流していました。斃れた警察官の方々を追悼するのは当然で、何の異存もありませんが、NHKの報道の仕方に、何か奇妙な気持ち悪いものを感じてしまいました。


南京事件で、支那の歴史学者「30万という数字は政治的な数字だ」


南京事件の検証には正確な史実の確認が必要です。平成19年(2007)1月31日の私が行ったインタビューで、支那人の歴史学者から南京の30万人という数字は「政治的な数字」だという言葉を引き出しました。
また、南京裁判、東京裁判に問題があったと注目すべき発言をしています。


尖閣が、江戸時代初期から無主地だった決定的な資料、発見!


日本人は江戸時代から尖閣が支那の領土でないことを確認。
これで、中国共産党の嘘は200%論破された。

ゲスト:石井望(長崎純心大学准教授)
石井望(いしい・のぞむ)
昭和41年(1966)東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師を経て、現在、長崎純心大学准教授。研究対象は元曲・崑曲の音楽、漢文学、尖閣史。著書に『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学比較文化研究所)がある。
昨年から積極的に歴史事実を提示し、尖閣諸島が清の時代から日本領であったことを実証している漢文学が専門の石井准教授の最新の研究成果を紹介する。
今年1月21日、石井准教授は長崎で記者会見を行い、明の時代に支那人は尖閣海域を明の領海外だと考えていた決定的な資料を『皇明実録』の中で発見した。
石井准教授の記者会見を伝えた産経新聞
www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/624014/
megalodon.jp/2013-0212-0130-58/www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/624014/
石井准教授の記者会見を伝えた読売新聞
megalodon.jp/2013-0121-1809-37/www.yomiuri.co.jp/national/news/20130121-OYT1T00687.htm
石井准教授の記者会見を伝えたDaily Yomiuri(英文読売新聞)
www.yomiuri.co.jp/dy/national/T130122003523.htm
megalodon.jp/2013-0129-0047-16/www.yomiuri.co.jp/dy/national/T130122003523.htm
しかし、今回の発表はそれを上回る研究成果だ。すでに元和2年(1616)に、日本人が大陸から40キロに位置する東湧島を、明の境界に入っていない場所であると認識していた事実が『湘西紀行』(曹學・ニンベンに全・ソウ・ガクセン著)の中で発見された。
東湧島は大陸から南西諸島、琉球への航路の入口に位置し、当然、尖閣は東湧島より遥か日本側にある。『湘西紀行』は福建史の重要資料の一つとされ、これで中国共産党の嘘は200%論破された。
なぜなら、第二次大戦後のサンフランシスコ講和条約で、日清戦争後に日本となった領土の帰属を放棄したことで、尖閣は清の時代は支那の領土とする中国共産党の主張が完全に崩壊するからだ。サンフランシスコ講和条約の解釈でも支那は国際法を無視した乱暴な主張を昨年の連合国(国連)総会で述べていた。今回の石井准教授の発見で、仮に万が一、支那の主張が正しいとしても、それでも完全に根拠が崩されたということである。


【新春スペシャル】(2)元日本兵の証言 学徒出陣・河村俊郎氏、戦後68年の日本へのメッセージ(1)2/2


今年日本は、8月15日で敗戦後68年を迎える。半世紀以上が過ぎているのに、いまだに戦争中の日本への非難が、主に特定アジアから繰り出されている。
なぜ、そんなことになるのだろうか? 支那と南北朝鮮が、なぜ70年前の戦争や戦前の日本の歴史を外交カードとして持ち得ているのか?
そんな、馬鹿馬鹿しいことが起きるのは、日本人が日本人の歴史を失ってしまったからなのである。
大正12年(1923)生まれの河村俊郎氏は、19歳で学徒出陣し、官立無線電信講習所(現電気通信大学)を繰り上げ卒業、南方戦線フィリピンに赴いた。
戦後は中央大学法学部を卒業後、国際電々(株)に入社、同社を定年退職後、KDDIエンジニアリング・コンサルタント(財)を経て、外務省JICAのアフリカ諸国へのODAプロジェクトへ参画、昭和50年(1975)に日本が戦後初めて先進国の仲間入りをしてパリ郊外シャトー・ランヴィエにて開催の第一回先進国首脳会議に参加した際に、随員の1人として参加、国際通信部門の重責を担った。
そんな河村氏は何を考えて戦争を戦い、何を見つめながら日本の戦後復興を担ってきたのか?
貴重なインタビューを収録して4カ月、ここにその第一弾をお届けする。
協力・インタビュー
 鈴木千春(戦史検定広報部長)
 戦史検定 www.senshikentei.org/
協力/花時計 www.hanadokei2010.com/


【新春スペシャル】(2)元日本兵の証言 学徒出陣・河村俊郎氏、戦後68年の日本へのメッセージ(1)1/2


今年日本は、8月15日で敗戦後68年を迎える。半世紀以上が過ぎているのに、いまだに戦争中の日本への非難が、主に特定アジアから繰り出されている。
なぜ、そんなことになるのだろうか? 支那と南北朝鮮が、なぜ70年前の戦争や戦前の日本の歴史を外交カードとして持ち得ているのか?
そんな、馬鹿馬鹿しいことが起きるのは、日本人が日本人の歴史を失ってしまったからなのである。
大正12年(1923)生まれの河村俊郎氏は、19歳で学徒出陣し、官立無線電信講習所(現電気通信大学)を繰り上げ卒業、南方戦線フィリピンに赴いた。
戦後は中央大学法学部を卒業後、国際電々(株)に入社、同社を定年退職後、KDDIエンジニアリング・コンサルタント(財)を経て、外務省JICAのアフリカ諸国へのODAプロジェクトへ参画、昭和50年(1975)に日本が戦後初めて先進国の仲間入りをしてパリ郊外シャトー・ランヴィエにて開催の第一回先進国首脳会議に参加した際に、随員の1人として参加、国際通信部門の重責を担った。
そんな河村氏は何を考えて戦争を戦い、何を見つめながら日本の戦後復興を担ってきたのか?
貴重なインタビューを収録して4カ月、ここにその第一弾をお届けする。
協力・インタビュー
 鈴木千春(戦史検定広報部長)
 戦史検定 www.senshikentei.org/
協力/花時計 www.hanadokei2010.com/


「異民族に支配されたような3年間だった」―阿比留瑠比編集委員と『破壊外交』をテーマに民主党政権を振り返る。


『破壊外交~民主党政権の3年間で日本は何を失ったか-完全まとめ~』(産経新聞出版) 著者・阿比留瑠比氏インタビュー
聞き手/西村幸祐
鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3代の政権は「公約」通り、日米同盟を弱体化させた結果、近隣諸国を増長させた。民主党が最も重視したはずのアジア外交は見事に破綻し、日中、日韓関係は戦後最悪となっている。
この3年間で、日本外交は停滞どころか大きく後退し、完膚無きまでに「破壊」された。
(『破壊外交~民主党政権の3年間で日本は何を失ったか-完全まとめ~』(産経新聞出版) プロローグより)


世界ウイグル会議副総裁 イリハム マハムティ氏独占インタビュー

ウイグルの悲劇は日本の近未来だ。
「世界ウイグル会議第4回代表大会@東京」の大成功の意味は?
イリハム・マハムティ氏独占インタビューを公開。


平成24年6月6日収録。ノーカット・無編集。
「世界ウイグル会議開催とその後の動向」
世界ウイグル会議副総裁・日本ウイグル協会会長 イリハム マハムティ氏
聞き手/西村幸祐
世界ウイグル会議HP www.uyghurcongress.org
日本ウイグル協会HP uyghur-j.org